昨日は川内町中高年登山教室に参加して皿ヶ嶺に登ったのだが、その時の話題の一つとして愛媛新聞に毎週土曜日掲載される山のことが取り上げられた。昨日の新聞には川内の大熊山が紹介されていたのだ。そしたら役場に勤めるIさんが明日大熊山に登る予定が有ると言ったので出来たら連れて行ってとお願いしたら快く連れて行ってくれる事になった。役場を10時出発だそうだ。公民館に戻ってから10時に居なかったら不参加と見なしますと言われて別れた。

今日は公式行事ではないので弁当を作ってくれない。ローソンで弁当を買ってそのまま役場に向かう。9時50分に役場につくと既にそれらしき服装の人が集まっている。私の格好はといえばスーパーに出かけるのと同じ普段着である。昨日の皿ヶ嶺の大袈裟な格好に比べたら大違いである。それでも一応ハイキングシューズを履いている。


今日の参加メンバーは7人。役場の人が4人、郷土史家の酒井先生、知ったように書いているがもちろん初対面である。そして昨日登山教室で今日の催しを知って参加を申し込んだのが2人。もちろん私を含んでいる。そもそも今日の大熊山行きの目的は川内町広報誌の取材である。川内町の方はご存知と思うが毎月町民に配布されている広報の裏表紙には川内探検隊と称して川内のいろんな場所が紹介されている。私の川内ガイドのネタもこの裏表紙の記事がきっかけになっていることも有るのだ。この裏表紙の取材に同行させて欲しいと以前から思っていたのだが誰に言えば言いか分からなかったが昨日偶然この話を聞いて参加を申し込んだのだ。

私の車に何人乗れるかと聞かれたので7人乗りだと答えると下山口に車を置いてきて欲しいと言われ車を置きに出発する。バスで行く登山教室とは段取りが違うのだ。この車を置きに行く時間などで出発時間が延びて結局10時25分頃車2台に分乗して登山口に向かう

役場を出た車は11号線の交差点で直進し井内峠に向かう道を走り西谷小学校のすぐ手前で左折しすぐに右折して小学校を右に見ながら走る。谷の向こう側は井内に向かう道路である。

この道路の幅は狭く離合は困難。対向車が来ないことを祈る。イヤそもそもこの奥に人家が有るのだろうかと思ったが電柱が立っているのを見るとちゃんと人が居るようだ。水害の復旧工事現場の横を走り小さな墓地の横に有る広場に車を停めた。広場といっても3台やっと停められる程度の広さだ。

10時40分出発。車を停めたところから10m程度いったん下がりそこから右上に向かう狭い道を歩いていく。すぐに小さな神社が右手上に見えるが荒れ果てている。酒井先生の説明が始まる。それによるとこの地区の氏子が2軒だけになってしまって維持できなくなっているとのこと。

道路は軽トラが走れる程度の広さが有る。左手にはシキミの畑があり穴がある。私はシキミを植え替えるための穴かと思ったらイノシシの掘り起こした跡だそうだ。そう言えば昨日の皿ヶ嶺でもイノシシの痕跡はあちこちにあった。今日の目的地の大熊山は禁猟区ではないので下手したらイノシシの猟師も入っているかも知れないとの話があり鉄砲で撃たれないことを祈りつつ歩く。さらに歩くと荒れ果てた人家が一軒。ここが戒能一族が川内に来て建てた屋敷であり目の前の畑も広いしこの上にも広い畑が有るよと酒井先生。この屋敷を上から見下ろすと広くかつては豪邸だったことを思わせる。

酒井先生の話を聞きながら歩き池が平(いけがなる)と呼ばれているところに来た。ここは山の上なのに広い平坦地が有りシキミの畑が有った。ここは雷の名所とかで落雷した痕跡の有る杉の木が見えた。

この池が平に行くすぐ手前には池があり大蛇にまつわる言い伝えがあるようだ。この池が平は今日初めて参加したメンバーのためにわざわざ寄り道してくれたのだ。大熊山に行くためにはもう一度バックして道路から離れて杉林の中に入っていく。すぐにゆるやかな尾根に出てあとはずっと尾根伝いに歩く。

11時30分見晴らしの良い場所に出た。
川内の町並みがよく見える。ここから中学校や十全病院が見えるということは逆にいえばこの尾根も下からよく見えているはずである。
11時47分 休憩。みかん、いよかん、干し柿とありったけのおやつが登場する。植林された杉の年数があきらかに異なっている境目だったのでここも下から見えているはず。

酒井先生がここが縦掘(たてぼり)の跡だと言う。縦掘って何ですかと聞くと敵が攻めてきたときに敵の進路を妨害するために山中に長い壕を掘った跡らしい。縦掘だけでなく横掘の跡も有るのだ。
二の丸跡で説明する酒井先生。ここに二の丸が有ったと言われても何の痕跡も無い。イヤ強いて言えばやはり山中には不自然な狭い平坦地である。向こうに見えるのが今日の目的地の大熊山。ここが二の丸と言うことは当然向こうは本丸である。
さらに歩くとここが三の廓(くるわ)跡と言う。廓?どんな漢字を書くんですかと質問すると漢字の部首で説明を始めたがピンと来ない。私が遊廓の字ですかと聞くとそのとおりとの返事。私は廓と言えば遊廓としか思いつかなかったので何でこんな山中に廓が?と思ったが帰宅してこのページを書くために国語辞書を引いたら廓の第一の意味は<城、市、とりでのまわりにめぐらす土や石のかこい>と書いてあった。おーこれは勉強になった。少なくとも廓の正確な意味をこの年で初めて知って良かった。

この後も酒井先生はここが横堀の跡、二の廓跡と説明する。そのたびにホホーと相槌を打つ。どうせ帰ってビールを飲んだら忘れてしまうと分かっていても博学な人のウンチクを聞きながら山歩きをするのは楽しいものだ。登山教室の清家先生と同じである。

山頂直前の登り
12時16分 山頂(本丸)到着
小さな祠が有る。ただし昔から有る祠ではないようで最近建てかえられたような祠だ。

ここからは樹木にさえぎられて見通しは悪い。それでも西のほうを見ると重信町のゴルフコースが見えた。

ここで昼食にする。ポカポカ陽気の中での弁当。
12時43分 出発。来た道とは反対側に下りて行く。まともな道は無い。木の枝をかき分けて下りて行く。そしてすぐに上りとなる。今度は踏み跡が有る。ピークに出て今度はまた尾根を下る。
尾根から石鎚がきれいに見えた。石鎚の左には白い山。この位置関係で見える山と言えば瓶ヶ森しか考えられない。川内から瓶ヶ森が見えるとは知らなかった。手前の樹木が邪魔になるのでデジカメを差し上げて写したら瓶ヶ森が半分しか写ってない。木の枝で頂上が隠されているのは二ノ森だろう。
翌日(12日)カシミール画像追加

石鎚の左に見えた白い山は間違い無く瓶ヶ森であることを確認。
ここからは杉の木に巻かれたテープや国土調査の赤い杭をたよりに下りる。人が通れる幅だけきれいに樹木が切り払われているので<誰が何のためにこんなに刈り取るんですか>と聞いてみたら<土地の境界だからだ。杭があるから分かるだろう>と言われた。なんて幼稚な質問をする男だと思われたかも知れないな。私は山林を持ってないんだから知るわけが無いのだ。

13時20分頃 山の作業の人が使うと思われる狭い道に出た。そしていつのまにかこの道もなくなったが急傾斜の踏み跡らしきところを下りて行く。しかしついに<本当にこの道で合っているの?>と意見が出始める。先頭を行く酒井先生や私はいまさらまた急斜面を上って元に戻るつもりは無いのでこのまま下りようと言う。
下山ルートの件で意見がいろいろ出ている間私は正面に見える瓶ヶ森を写す。石鎚は木に隠れて写せない。三ヶ森も見えていた。
結局このルートが間違っていると判断した二人は上に上がって行った。上がるのがイヤな5人はそのまま道無き道を降りていく。木の枝に服を引っ掛けながら顔に当たる枝を振り払いながら下りるのだ。時間はまだ2時頃だし天気も良い。携帯電話も有る(私は持ってないけど)このルートが間違っていたとしても大事にはならないだろう。中高年男女5人の冒険ゴッコだ。

5人で下り始めた最初の頃は本当に道無き道という感じだったが次第に踏み跡が見えてきてついには明らかに登山道という雰囲気になってきた。これで安心だ。道を間違えたとしても間違い無く人家にはたどりつけるだろう(ちょっと大袈裟か)杉林の向こうに小さな谷が見えてきた。そこに下りたら道がある。あとはこの道に沿って下がるだけ。問題は誰もどこに出るか見当がついてないだけだ。

14時52分 コンクリで舗装された農道に出た。ここまで来たらあーあそこに出るんと違うかなとの声。

車が走っているのが見える。国道11号線だ。そしてサラヤも見えた。
11号線に近づいてから後ろを振り返って酒井先生に大熊山がどれか尋ねた。

大熊山の左に見えるピークからの下りで道を間違えたことになる。

役場に電話を入れて迎えに来てもらい車を取りにいく。車を置いた場所に行くと別行動を取った二人が歩いている。やはりこの二人のコースが正しかったのだ。

自分の車を運転して皆を乗せて役場に戻る。また機会があれば連れて行って下さいとお願いする。

歴史の跡を歩き道無き道の冒険ゴッコを楽しむ。これがオトナの遊びである。

宝蔵時に下りるのが本来の目的コース。

点線が間違って下りたコース。
もしかしたら点線で書いた尾根のもう一つ右の尾根で道を間違えたかも知れない。

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